府市経済界が一体となった、
オール大阪での都市再生プロジェクト
近世の大阪は天下の台所と呼ばれ商都として栄え、整備された水辺は人々の生活の営みの場そのものでした。明治から戦前は大阪都心部の水辺は美しい都市景観で大阪の名所になっていましたが、戦後、堀川は埋め立てられ、防潮堤が整備されまちと川は分断されました。建物は川に背を向け川に近づけず、水辺の公園や遊歩道にも人の姿はほとんどない状況でした。
しかし近年都市再生の必要性が掲げられる中、水辺の価値や大阪のアイデンティティを取り戻すべく始まったのが「水都大阪」で、府・市・経済界が一体的に取り組み、行政によるシンボル空間整備や、民間サイドのNPOや企業による様々なアイデアがゲリラ的に実現され、2009年には官民が一緒に作り上げたシンボルイベント「水都大阪2009」が開催されました。泉はこの時市民NPOの立場で、北浜テラス、OSAKA旅めがねに関わっていました。
更なる市民参加や民間資金導入を目指し推進された「水都大阪フェス2010・2011」では、泉が民間ディレクターチームの一員として参画し、フェスを通して再整備された空間を使いこなしていく、未開拓な中之島GATEや大正などのエリアに目を向ける、サポーターレポーター導入により事業プロセスを届けることなどが実現しました。
またこの事業進展を経て、民間主導の推進機関と官民パートナーシップが必要との提案が位置づけられ、府市経済界のトップで構成される「水と光のまちづくり推進会議」のもと、民主導のアイデアや創意工夫によって水都大阪を実現すべく「水都大阪パートナーズ」と、その活動を支える行政の一元窓口「水都大阪オーソリティ」が2013年に再編成されました。水都大阪パートナーズでは、2013~16年の4年間にわたり、中之島公園や中之島GATEのシンボル空間の事業化、水の回廊沿いの水陸拠点の創造や船着場・水面活用ルールづくり、関心度に応じて多様な水辺を使いこなす人を増やすプロプラム運営、市民府民や事業者や海外に向けた情報発信や関係性づくりを推進し、公民連携の中間推進組織的な立場でプロデュースを行いました。
ハートビートプランは2011~16年まで、一気通貫でディレクターから水都大阪パートナーズの運営全般に関わり、市民による水辺の日常的な使いこなし、民間投資の誘致・常設化やエリア運営の仕組みづくりに取り組むとともに、舟運商品の造成や水の回廊全体の船着場利用ルールづくり、中之島漁港のオープンなどの事業創出に取り組みました。