昨年2月に公開した中之島GATE「中之島漁港」までのみちのり-1に引き続き、第2弾のレポートです。
社会実験によるエリアポテンシャルの可視化
2012年10月、2013年10月と二度の社会実験が行われた。2012年10/13~21の9日間(うち1.5日は雨天中止)はノースピア(福島区側)で来場客数約8000名と売上約300万円。2013年は10/11~27の17日間(うち5日間は雨天中止)、サウスピア(西区側)で来場者数約51000名と売上約1800万円、クルーズは中之島公園と結ぶ中之島シャトルクルーズ、10/12&26の大阪水辺バル、対岸の中央市場港とのGATE連絡船の3パターンで約2900人の乗船者という成果が得られた。出店者の方々のとがったコンテンツがあり、限られた予算で最大限のインフラ・設えを用意して頂いた方々のパワーあってこその結果だが、普段まったく地域外から集客がない場所でのポテンシャルの可能性を感じることができた。
そして、ステージ1からステージ2へ、期間限定イベントではなく日常的に営業する段階へ。社会実験にご協力頂いた飲食関係者・舟運事業者をはじめ、様々な制限のあるこの場所に興味を持ち事業展開していただける事業者探しが始まった。
▲魅力創造基本計画のステージ2へ移行 ▲中之島GATEの夜景に浸り作戦会議!?
難航する事業者探しとRETOWN松本氏との出会い
事業者探しは難航した。社会実験、イベント的に成果があったとは言え、公共交通アクセスが悪い、通常の集客ビジネスモデルではポテンシャルなし、河川・港湾・管財など輻輳した権利関係や臨港地区などの規制、2~3年の期間では投資を回収できない、インフラがなくその投資まではできないなどがその理由だった。
一方プラスの評価としては、食のブランドが打ち出しやすい立地、卸業・オフィス・個性的イベントの可能性あり、水でアクセスできるスポーツ・ボートで目的地になる可能性ありという意見もあった。
30社を超える場外市場、アウトドア、水上スポーツやマリーナ、商業ディベ、水辺住宅、駐車場などの企業の答えは厳しく、一部はイベント参加協力はできるがこの場所で常設営業するのはリスクが大きすぎるという判断だった。当初進出の可能性が最も高かった企業も、最終的には公共空間ならではの期間や規制の不安定さから辞退せざるを得ない状況になった。
そんな中、2013年の末、社会実験に当初から多大な協力を得ていたレストランの紹介で(株)RETOWNの松本篤氏と出会う。(株)RETOWNは当時約80店舗の飲食店経営や料理人の人材育成を事業にしている勢いのある会社だ。彼のプランは中之島GATEに偶然にもはまった。彼は大阪に今よりもっと美味くて割安な魚を流通させることを夢見て、全国の漁港を100箇所以上数年かけて訪れており、魚の扱いが丁寧な漁港から直接仕入れ、市内飲食店への卸売業をベースにしつつ飲食店を運営するプランを練っていた。偶然にも場所を探していたところで出会い、様々なハードルがあるにもかかわらず海と川の結節点、中央市場直近の物流に適した立地、食のエリアコンセプト、幻想的なロケーションなど、中之島GATEに関心をもっていただいた。ここから中之島漁港が動き始め、2014年2月から具体的な協議がスタートする。
▲(株)リタウンロゴ(左)、松本篤社長(右) (株)RETOWN WEBサイトより
維新派との出会い
RETOWN松本氏に出会ったほぼ同時期にもう一人の松本氏、維新派の主宰・松本雄吉氏にも出会う。こちらは大阪府でアートといえばこの人、寺浦さん経由で、維新派から中之島GATEで公演ができないかと大変嬉しいアプローチを受けた。2010年第一回瀬戸内国際芸術祭の犬島公演「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」で初めて維新派公演を観ていたので、維新派の野外公演ができたら最高だろうなと話していた頃だった。
維新派の演劇は、場の情景を存分に生かしながら、土地の流れを汲んだストーリーとなっている。野外演劇の舞台上はもちろん、その手前の屋台村を含めて世界観がとても素晴らしく、かっこいい。また、セリフはストーリーとして分かりにくいが、リズミカルな言葉の掛け合いは無意識に訴えてくる力がある。
中之島GATEの夜景、水面の向こうに高層ビルの夜景を眺める幻想的な風景が松本氏の目に留まったようだ。本拠地大阪でありながら、実に10年ぶりの大阪野外公演開催に向けて準備が始まり、2014年2月から具体的な協議がスタートする。
▲4月にはポスター撮影が中之島GATEで行われた
新年度のパートナーズ体制強化、2014年秋、維新派公演&飲食施設オープンめざす
2014年度、中之島GATEを推進する体制が変わった。府市の行政組織、水都大阪オーソリティのメンバーは社会実験を共に進めてきた方々から人事異動で一新。水都大阪パートナーズは在阪企業からの出向メンバーやコンシェルジュメンバーが加勢し、パワーアップした。
この頃、RETOWNは場外市場的な卸、小売、海鮮バーベキュー事業ができる施設の計画に着手。事業期間は水都大阪パートナーズの任期である2年半、数千万円の投資を想定した。オープン時期は相乗効果を狙い、維新派公演がある10月に合わせることを目標とした。
▲2014年度水都大阪パートナーズ関係者(大阪商工会議所、出向元企業、嘉名先生、パートナーズメンバーなどのみなさま)
「中之島漁港」の施設イメージ具体化と開発条件整理
4月に計画開始、10月開業をめざすために8月にはインフラ整備&建築着工という最短スケジュールが想定されていた。ふりかえれば5月頃には「中之島漁港」という名称や施設イメージは出来つつあった。
▲4月末の施設イメージ図
しかし、実際は臨港地区の特別許可の目途やそもそもRETOWNという民間企業が公有地で事業を行う位置づけを行うために2ヵ月ほど時間がかかった。臨港地区については市港湾局と協議を重ね、民間企業の事業であっても中之島ゲートエリア魅力創造基本計画案に基づいた公的な事業であることを事業計画で示すことで許可された。
また、府有地(河川敷地)を民間企業が直接長期間借り受けて事業を行うことは出来ない。それはRETOWNのみでなくパートナーズでも不可能なため、一度オーソリティが河川敷地を占用し、パートナーズはオーソリティと協定を結び土地を使える枠組みが必要だった。その協定文書内容の調整にも時間を要した。
前述の課題を乗り越え、インフラ計画・建築計画の準備に差し掛かった6月、更に課題が判明した。開発許可のハードル。府有地を一つの敷地として建築敷地を設定しようとすると区画形質の変更にあたり、開発許可が必要になるという内容だった。隣接する国有地との間には柵など物理的障害が一切なかったためだ。隣接する国有地も一体的な敷地と捉える考え方もあったが、時期を同じくして国有地の所有管理省庁の変更計画(港湾⇒管財)が判明し、国有地を使う選択肢もなくなった。これは国有地にまたぐ既設インフラの活用が不可能になったことでもあり、府有地で完結させるインフラを新たに整備する必要が生じ、事業計画にも影響が及んだ。そして、土地に接する道路幅が規定の9m(住宅用途以外の場合)より狭いことが原因で、開発許可は申請しても許可が下りないことも判明。
様々な方法を検討した結果、府有地のみしか使うことができないなかで、そもそも開発許可要否判定が不要な、仮設建築物として建築確認申請を行うことを余儀なくされた。それは建築許可期間が1年間と限定されることでもあった。事業主RETOWNにとっては非常に大きなリスクとなるが、彼らはその状況でも前を向いて進む判断をした。
10月開業予定はすでに困難な状況となり、絶対的なスケジュールは見いだせない状況だった。
タカスイ合流で事業内容グレードアップ
お盆頃になり、希望が拡がってきた。(株)タカスイの事業参画決定である。
タカスイは九州の水産会社、漁船団を所有し漁をするだけでなく、収穫するサバ・アジをブランド化。独自の技術を持ち、丁寧な管理で生きたまま消費地へ流通させたり、飲食事業展開をしたりしていた。松本さんと共通の夢を持ち、一緒に事業を展開できないかどうか話されていた。8月半ばの暑い日、髙須社長はまだ何もない中之島GATEサウスピアに来られ、すぐに場所を気に入っていただいた。「活魚をどんどん大阪へ送って、たくさんのお客さんに美味しい魚を食べてもらいたい」スーツ姿で堤防の上に立ち、興奮気味に笑顔で語ってくれたのがとても印象的だった。その後、8月下旬には(株)RETOWNと(株)タカスイで(株)フィッシャーマンズマーケットを設立し、松本氏と髙須氏の2者を代表取締役とする運営会社が決まった。
▲髙須清光社長(左)、金比羅丸(右) (株)タカスイ会社概要、WEBサイトより
建築・照明デザインの力で空間魅力もグレードアップ
建築家小山隆治氏と出会ったのも8月の後半、中之島GATEサウスピアエリア全体を捉えてデザインを提案していただいた。限られた予算でつくる施設をどのように演出するか、とっておきのロケーションをどのように生かしてお客様に感じてもらうか。一発目の提案から場の印象をつくったのは川側へ伸びる桟橋を連想させる堤防沿いのデッキだ。敷地を大きく分断する堤防を逆手にとって共に水面を感じられる空間に変えた。
その結果、飲食事業規模を拡大する方向となった。当初は集客力の懸念から飲食事業は週末などの休日のみ営業を基本とする案だったが、デザイン提案により松本氏の事業イメージも膨らみ、この空間であればわざわざ来る価値があると判断、飲食事業も毎日営業する計画に変更された。
▲小山氏のスケッチ初案(左)高さのある構造物も検討された、(右)は最終案
この場所は中之島や梅田のビル群が真っ暗な目の前の川の向こうにそびえたつ、都心部では稀有な夜景が美しいポイントでもある。そこで、いつもお世話になっている照明デザイナーの長町志穂氏から、夜間はデッキをライトアップしてムードを高めるプラン、会場全体の演出、川からも陸からも見える魚の形をしたシンボルなどをご提案いただいた。
中之島漁港の夢は膨らみ、この事業はうまくいく!とムードが高まる一方で、まだ大きな課題があった。インフラの整備だ。施設規模が大きくなればインフラ整備の規模も拡大。パートナーズが投資可能な金額の上限を超えることは明らかだった。
何とか費用を圧縮しようと、それまで調整していた工事内容を再検討。給水、排水、電気、舗装、既存設備を最大限活用するため、隣接する元税関建物周辺の給水や電気設備も調査したが修理が必要など逆にコストやリスクが高く、活用に至らなかった。ただ、電気設備業者であるのに水道など土木系の作業も束ねるスーパー電気事業者・叶氏の協力もあって最低限の費用と工期が見えてきた。
最終的に、パートナーズの役割であるインフラ整備費は当初予定の投資可能額を大幅に超え、組織体制上、銀行からの借入もできないパートナーズはフィッシャーマンズマーケットへ相談する他なかった。その結果、初期費用として不足分を一時的に負担していただき開業後の利用料と相殺し返済する仕組みとした。両社長の心意気に感謝するしかなかった。
日本建築学会シャレットワークショップ、全国の学生からの提案
9月には日本建築学会のシャレットワークショップという教育プログラムが、水都大阪の中之島GATEを対象としていただき、全国から30人ほどの大学生と教師陣のみなさまが大阪に来られた。5日間泊まり込みでこのエリアの魅力を引き出すアイディアを提案していただき、学生の皆さんは地域の方々や松本さんともやり取りをして我々も大きな刺激となった。
維新派「透視図」がもたらした感動と縁
一筋縄ではいかない中之島漁港の計画とは別に、維新派公演の準備は予定通り進んだ。当初は中之島漁港と同時オープン、連携して盛り上げることをイメージしていたが、連携どころかインフラ整備の遅れにより、維新派公演にも影響を与えることになった。予定であれば整備完了していたはずの水道・電気設備を仮設的に提供。当初予定とは異なり大変不便な環境で演劇の準備をしていただいた。
そして、幕開けした2014維新派「透視図」は屋台村の出店者が嫌になるほどの集客を実現。過去最高の観客動員数を記録した。数字の結果以上に舞台は観る者に力を与えた。「透視図」は高層建築が立ち並ぶ大阪を空間的に歴史的に透視するストーリーであった。水の都大阪に西日本やアジアから人が集まり人間臭さが入り混じる過去の情景と壁で仕切られた空間で200万人以上が暮らすデジタルな現在の対比。更地となって一度リセットされた大阪開港の地で観るその内容は中之島GATEのエリアの潜在的パワーを感じさせた。
松本氏も鑑賞し、その世界観に感動。これを縁に維新派舞台美術の白藤垂人氏が中之島漁港の施工仲間となった。
ついにオープン日決定、申請・工事着々と
10月~12月は事業計画の詰め、インフラ・建築内容の調整、河川占用や臨港地区の許可申請、地域への説明などが一気に並行して進み、事業内容の細部が具体化された。12月上旬についに、ようやくインフラ工事着工。その後建築確認申請も許可が下り、年内に建築工事も着工した。
12月11日にはRETOWN本社で会議があり、そこで2015年2月18日の開業が決まった。数々の困難を共に乗り越えた関係者がようやく喜びを感じる瞬間だった。
工事も100%順調とはいかなかったが、トラブルも乗り越え、開港に間に合うスケジュールで進行した。
祝・中之島漁港開港!
2015年2月18日、大安吉日、ついに中之島漁港がオープン!
活きたままの美味しいお魚を買ったり、食べたりを日常的にできる水辺スポットが誕生した。
平日オープンから週末にかけてのオープニングセール期間中は寒さにもかかわらず、1日1万人を超える予想以上の人出で大にぎわい。
社会実験から暫定的ではあるが、日常へ一歩前進した記念すべき瞬間。
オープン間もないころの中之島漁港の状況(動画)をお楽しみください!
まだまだ続く。
(ひさお&ひで)