ソノホカ

【HBPメンバーインタビュー】第2回 岸本しおり

2015年10月13日


HBPメンバー紹介のインタビュー企画、
第1回のひさおさんに引き続き、第2回はハートビートプランの最年少、しおりです。

ひさお、ゆーりでインタビューし、ひさおさんが記事にまとめました。
ハートビートプラン生活も1年半を超え、すっかり事務所にも大阪にもなじんでいる、しおり。
そんなしおりが、沖縄や横浜でのこと、まちづくりの仕事への思いを語っています。

★【HBPメンバーインタビュー】第1回 山本尚生

 

沖縄育ちの自称お嬢様

平成元年6月14日生まれ。平成ですよ。革命家チェ・ゲバラと誕生日同じです。岸本しおりです。

名前の意味は、表向きには世の中の道しるべになるような人、人々を導くような人になりなさいという意味だよって小さい頃からずっと言い聞かされてきたんです。お母さんが新聞で「栞(しおり)」って漢字が名前に使えるようになったのを見て、漢字で「栞」にしようと市役所へ行ったら、来年からですと市役所に言われて。だからひらがなになったのが本当のストーリー。

出身地は沖縄県です。ずっと那覇市の首里で育ちました。実家はル・コルビュジェみたいな家です。コンクリート打ちっぱなし、水平窓、ピロティー付きですからね。誇張してますけどね。中は純和風ですよ、掘りごたつあるし、引き戸だし、ソファなくて畳敷きだし。

私、国立以外の公立に通ったことがないお嬢様なんです。小学校国立、中高は一貫で私立、大学大学院国立。たまたまその小学校はお兄ちゃんが行ったんです。中学校は、そこそこ小学校で頭良かったから中学校受験したらってお母さんに言われた気がする。私、小学校一番とったことある。輝かしかったあの時代。

4歳のころ。お気に入りのお嬢様っぽい服で

4歳のころ。お気に入りのお嬢様っぽい服で

 

運動ができなさすぎるハンドボール部キーパー
ハンドボール部時代、ゴールを守るしおり

ハンドボール部時代、ゴールを守るしおり

私、個人競技というか運動が苦手でできないんですよ。自転車乗れないから分かると思いますけど。たまたま友達からハンドボール部つくりたいから入らない?と誘われた。

ハンドボールは7人制で、人数少なかったからレギュラーにはすぐなれましたよ。6年間続きましたね。やっぱり団体競技向きでしたね。あと、キーパーというポジションがすこぶるあってた。キーパーって、チームをまとめたりとか、ここぞという時に流れ変えたりとか、チーム内で落ち込んでる人がいたら、声かけたりとか。レギュラーを争っている仲で、私は関係ないから、まぁまぁまぁと言える立場だった。キャプテンを支えてた。

めっちゃ怖かった中学校ハンドボール部の先生、まっこ先生によると、伸び率で言うとしおりが一番伸びたなって言われます。しおり初めて会ったとき、まっすぐ歩けてなかったからって先生言うから。ほんと運動神経よくないんですよね。自転車も乗れなかったけど、伸び率がすごいから今乗り回してて泉さんと共に暴走族です。

絶対できないって思ってた運動も、やってみると意外とできるんだなぁというのが分かって。今、私がこんな偉そうなのもハンドボールのせいなんですけどね。

 

お父さんがとっても喜んだ建築志望

私が建築受けようかなってお父さんに言ったら、お父さんめっちゃ喜んで志望校決めた。お父さんがリサーチをしたらしくて。お兄ちゃんが関東行ってたから、関東に行けっていうのだけ決まってて、なら東大がいいけど厳しいでしょうと。東工大なら行けるんちゃうか、で後期は横浜国立大学だろうと。時期は高校2年の終わりとかかな。それまで私医者になろうと思ってた。なんか離島医療とかいいな~って思ってた。沖縄でも食ってけるし、お母さんも離島筋だし、お父さんも離島筋と言えば離島筋なんで。救命病棟24時とかDr.コトーとかもいいなぁって思いながら見てたんですよね。

学校の授業で将来なりたい人のところへ話を聞きに行くみたいなのがあって、お医者さんの話を聞きに行ったとき、なんか違うなってなって。それは高1かな。話聞きに行ってあまりピンとこなかった。

建築に興味持ったのは安藤忠雄がね、英語の教科書に出てきたんです。「連戦連敗」が英訳されて載ってるんです。光の教会をつくった経緯とかこう思って僕はつくったんだというのが載ってて、あぁ面白いな~と思って。ハッと周りを見渡すとお父さんも設備だけど建築系で、私も絵描くの嫌いじゃないし。工作とか造るのも好きだから。いけるんじゃないかな~と思ってふと口にしたらお父さんがとっても喜んで、何か私も嬉しくなっちゃって、まいっかって思って。

自分で作ったお気に入りのライオンの貼り絵。大学時代に名刺の裏側に印刷していた

自分で作ったお気に入りのライオンの貼り絵。大学時代に名刺の裏側に印刷していた

 

ワダヨコ、拠点運営リーダーで試行錯誤

うちの大学、設計課題は2年から始まって、ちょうど3年に上がる時に和田町の団体を先輩が立ち上げることになって、和田町の旧町内会館をリノベーションして活用していくやつなんですけど、実際に建てるとか建てた後の運営てどうなるんだろなと思ってた時だったからその団体が面白そうと思って入った。改装は1年で終わるから3年の時に改装が終わって、私たちが4年生になったときにどうやって使うのかっていうのが始まって試行錯誤を重ねた。

コンセプトが普通に運営だけじゃなくて、作るだけじゃなくて和田町って場所が学校と近いけど全然つながりがないからそこを拠点に大学と地域をつなげようみたいなのがコンセプト。「ワダヨコ」って和田町の横であるし、横国の横でもあるから。っていうので、大学のサークルと地域の美術の人との展覧会してみたりとか、陶芸部の大学生が子どもに陶芸教えてみたりとかっていうのを考えてやってみたんですけどね。まじめでしょ。

ワダヨコで大変だったのは、4年生のときに代表になったとき、コンセプトはあるけど、何するかって部分がふわふわしてたとこ。何かをはじめるってことも大変だけど、続けるってことはもっと大変なんだなって思った。でも、続けていくうちになんとなくできることが広がっていって、楽しいなっておもった。あのときに考えていたことが、一番いまにつながっている気がする。

ワダヨコにて実施した大学の陶芸部による陶芸教室&展示販売

ワダヨコにて実施した大学の陶芸部による陶芸教室&展示販売

 

形に落とし込むよりコンセプト考える方が好き、まちコン(まちづくりコンサルタント)との出会い

3年生の時、めっちゃ就活してましたよ。模索してました。周りは建築家になりたいって人も多くて、でもなんか違うな~っとは思ってて。建築が違うなって思ったのはコンセプト考えるとこが一番面白いと思ったから、私はアウトプットを建築にこだわらなくても実現できそうかなと思って。形に落とし込むよりコンセプト考える方が好き。建築にとらわれずなんか面白いこと起こしたいなと思ってて。広告業界も受けたし。それで3年の時に社会を見たのはよかった。

M1の夏にインターンに行ったんです。まちコンの事務所に。私、和田町とかやってて、まちづくりって面白いと思っててそういうこと仕事にしていきたいんですけどいいとこないですか?と先生に相談して。インターン行ってピンと来るものがありました。地域に入るって意味では公務員も面白いなって思ってたんですよ。けどそこでインターンに行って、公務員の私が思っている面白いなって部分は外注してここがやってるんだなっていうのも両方見えて、これだなって思いました。

業界は絞られましたけど、そんな一筋縄ではいかないです。最初コンサルに行こうと思って就活してたけどあまりにも募集してなくて、受けるところがなくて、周りに流され普通に就活してて、でも落ちるしやっぱり違うし、「いまとし(いま、都市をつくる仕事)」読んで載ってる企業を全部調べたり、都市計画コンサルタント協会みたいなホームページの会員の会社片っ端から見てみたり。けど、そもそも募集してないし、募集してても入るには論文が必要なんですよね。大学院では街に出て活動してて研究成果みたいなフォーマットで残っていないし。出せるものな~い、受けられな~いて感じ。

大学時代、石巻でのWS

大学時院時代、石巻でのWS

 

ここに私がやりたい仕事あったな

ハートビートプランの募集は6月。その時には1社決まってて、そこに行ってたら今頃丸の内OLだったんですけどね。それをごめんなさいっていって断った、ハートビートプランに受かったから。ハートビートの募集は、たまたま丸の内のその会社の最終面接の前にパソコン見てたら学芸出版のツイッターで流れてて。この会社おもしろそ~って見てたら、大学の研究室の野原先生から「ここも募集してます。大阪の会社だけどね。」みたいなメールが来て。野原先生がいいって言った会社だからってのはとても大きいです。心ある会社だよって言ってましたよ。

実際面接で会ってみて楽しかったです。ここに私がやりたい仕事あったなって思っていました。面接で泉さんから今やってる仕事とか水都の話とかしてもらいましたよ。水都は何やってるかとかじゃなくて、大阪の新しい魅力つくってる話がすごい面白かったな。千林の話も聞いた気がするな。東成の話も聞いた、あっこさんの地元でって。いつか沖縄で仕事できるんじゃないって話もしました。

面接の後、泉さんとあっこさんと何故か最後飲んで帰ったから、不思議な感じです。何しに大阪来たんだろう、落ちても勉強になったなって感じでした。泉さんの、一生のうちに関われる都市は10個くらいしかないという話が一番覚えている。きちんと向き合っている人なんだなって思いました。けど、会社の拡大とかと重ねるといろいろ難しいところもあると思う。言い切れるってところはスゴイなって。

 

基本人生楽しいで生きてます
おおたオープンファクトリーの準備中、上下つなぎのユニフォーム

おおたオープンファクトリーの準備中、上下つなぎのユニフォーム

しおり、なんか楽しそうだよね!はよく言われます。中学くらいから。なんででしょうね、ハッピーな両親だったんじゃないですか?お母さんの判断基準はそれ面白いねとかなんで。面白い方が楽しいね!な感じ。沖縄ゆるいし。風土かな。楽しそうにしてたら楽しそうな人集まってくるし、何か楽しそうになってきますよ。ふふふって笑ってるとなんか楽しい気持ちになってくるし。

スタンスとして、今やることを全力で頑張ったら、将来が見えてくると信じているから、今まで全部そう。中途半端にやったら中途半端な結果しかでないから。がんばったらその次が見えてくるんじゃないかと思って頑張り続けている感じです。和田町がんばったら大田が出てきて、大田がんばったら気づいたらハートビートいてみたいな。とりあえず、今頑張って賢くなる。仕事が好きなんです。楽しいからかな~。仕事が好きっていうか、今の環境がやってることが楽しいから。

基本人生楽しいで生きてます。辛いも楽しいのための辛いみたいな。辛いというか大変って感じ。自分イッパイイッパイ大変!って感じ。何をしようかって悩む人がいるじゃないですか。スゴイ無駄だなって思ってて。例えば人生の決断でAとBがあってどっちかを選ぶのに3か月くらい悩む人がいるじゃないですか。悩むならさっさとA選んで失敗して次に進んだ方が無駄がなくないみたいな。決断することに悩むくらいなら、決断したことを後悔しない様に頑張った方がマシ。スパって決めた方がうまくいきますよね。最終、勘でしょ。楽しいを選んだ方が楽しいじゃないですか。

「岸本しおり」って仕事をつくりたい

沖縄に帰りたいかは別として沖縄の仕事はしたいなと思ってます。「岸本しおり」って仕事をつくりたいって言って先生方に爆笑されたことあります。

将来何がしたいのって大学院の面接で聞かれて、あの時は沖縄に帰りたいなって思って、地元に帰ってまちづくりの仕事がしたいです。って言ったら、それは行政で帰るの?何で帰るの?って聞かれて、新しい仕事をつくりたいです、私が「岸本しおり」という新しい仕事となって帰りたいと話したら爆笑されたエピソードです。

その当時見てた仕事全般に対して私がしっくり来てなかったから、自分で仕事をつくる、しっくりくることをしたいという意味かな。

大阪でも楽しく生きています

大阪でも楽しく生きています

★HBPメンバーインタビュー
【HBPメンバーインタビュー】第1回 山本尚生
【HBPメンバーインタビュー】第2回 岸本しおり
【HBPメンバーインタビュー】第3回 園田聡
【HBPメンバーインタビュー】第4回 山田友梨

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